ブログ|特定非営利活動法人 ひなぎく保育園

オフィシャルブログ

”これ、しらべて!”

早いもので10月を迎え、今年度も折り返し地点に来ました。

4月当初とは様々な面でこども達の姿が変わってきました。協力し合う姿や、友達を思いやる姿、自分で意思表示をする姿などが特に印象的なここ最近でした。

大きなイベントを今週末と12月に控えています。これまでと比較しても、こども達も行事をより楽しみにしてくれているように感じます。

「やってみたいことがある」ってとても幸せなことですから、行事の中でも、やりたくないことを大人が決めてやらせるのではなく、こども自身が「やってみたいことをとことんやってみる」イベントにできたらと思います。

今週もブログを書いていきます。ご興味のある方はぜひご覧になってください。

園長

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2回にわけてもいいぐらいの内容なのですが、来月は乳幼児栄養調査の結果を踏まえたブログを書くことになりそうなので、かなり長文のブログとなります・・・。

 

「幼児期にICT機器とどう付き合っていくべきだろうか」

昨年度、園でこんなことがありました。

私がスマートフォンを触っていると、こどもが近づいてきて、「なんのゲームしてるの?」と聞いてきました。もちろん、私はゲームをしていたわけではありませんが、その子にはそう見えたようです。

園には、自分が興味をもったものを持ってきて「これ、しらべて。」と言うこどももいます。

同じスマートフォンを見ても、あるこどもにとっては「ゲームをするもの」であり、あるこどもにとっては「わからないことを調べるもの」である。もちろん、この二人を比べて、どちらが良い、悪いという話ではありませんが、保育園という年代ですでに、「ICTは何に使うものか」という認識には違いが生まれているのだと感じました。

私が小学生だった20年前ぐらいは、電車に乗ると、周りの大人が何をしているのかは比較的わかりやすかったように思います。(私は福岡や大阪で育ったので、電車のない鹿屋の子たちが大人をどう見ていたかはわかりませんが・・・。)

電車の中は、こんな光景でした。

新聞を読んでいる人。
本や漫画を読んでいる人。
参考書を広げて勉強している人。
音楽を聴いている人。
携帯ゲーム機で遊んでいる人等々。

それぞれが違うものを手にしていたので、「この人はいま何をしているのか」が、周囲からもわかりやすかったように思います。

しかし、現代は上記のほとんどが一台のスマートフォンで完結します。

ニュースを読んでいても、勉強していても、仕事の連絡をしていても、本を読んでいても、地図を見ていても、ゲームをしていても、「みんながスマホを触っている」という状態です。

だからこそ今の時代は、大人がICTを使っている姿をただ見せるだけではなく、

「明日は天気はどうだったかな」
「これはなんていうお花かな。」
「○○(場所)にはどうやっていくのかな」

と、あえて大人がスマホ等で何をしようとしているか、使う目的を口にしながら、こども達に見せることも必要なのではないかと思っています。

ICTからこどもをできるだけ遠ざけたいと考えておられる保護者の方も少なくありません。それが良いか悪いかについて、私は明確な答えを持ち合わせていません。ただ、これからの社会を生きるこどもたちにとって、ICTは避けては通れないものです。

触れさせないことを続けて経験が積めないまま、ある時点でこうした機器に触れるようになり、刺激の強いゲームや動画、SNSなど一部の使い方に偏ってしまうよりも、幼児期から”大人と一緒に”、積極的にさまざまな使い方に触れていくほうがよいのではないかと、私自身は思っています。

ICTには、たくさんの使い道があります。

調べる。
記録して残す。
比べる。
見返す。
誰かに伝える。等々

大切なのは、「使わせるか、使わせないか」だけで考えるのではなく、「どんな使い方に出会わせるか」なのではないでしょうか。

こうしてテクノロジーに触れていく中で最も気をつけたいのが、ICTを「聞けば答えをすぐに教えてくれるもの」だと思い込まないようにすることです。

こどもが、「これなに?」と何かを持ってきたとき、スマートフォンで調べれば、すぐに名前がわかることがあります。とても便利です。

でも、名前がわかった瞬間に、「○○だったね。はい、おしまい。」となってしまえば、せっかく生まれた「なんだろう」が、そこで終わってしまうこともあります。

「どこで見つけたの?」
「何色だった?」
「どこが違う?」
「何に似ている?」
「ほんとうにこれかな?」

そんなやり取りをしながら、見る。考える。比べる。必要なら調べる。

ICTは、問いに答えを返すだけではなく、問いを深めるためにも使えるはずです。

先日、黒い蝶をつかまえたこどもがいました。

そのこどもは蝶の写真を記録として撮り、あとから図鑑を開いて、どの蝶だったのかを調べていました。ところが、黒い蝶ってたくさんの種類があるんですね・・・。

写真を撮ったときに、見極めるための大事な部分が手で隠れてしまっており、図鑑で調べても、どの蝶なのか言いきることができませんでした。

すると、「どこを見ればわかるんだろう」、「ここが手で隠れててみえないね」、「次はどうやって撮ったらいいんだろう」と考え始めました。

これもICTの面白さだと思います。実物を「写真」という形で記録に残すにあたって、「何をどのように記録するのか」を判断して選択する余地は、人間側に残されています。

この例では、写真を撮ったからといって答えがわかったわけではありません。むしろ、記録の不十分さに気づいたからこそ、「どこに注目しなければいけないのだろう」という新しい問いが生まれました。

そして次に蝶と出会ったときには、きっと今回よりも注意深く蝶を見るでしょう。

羽の模様を見るかもしれない。
表も裏も見ようとするかもしれない。
どの部分を写真に残せばよいのかを考えるかもしれない。

見る。
撮る。
見返す。
調べる。
わからない。
もう一度考える。
次はもっとよく見る。

ICTが実体験を奪うのではなく、次の実体験を豊かにしているのです。

だから私たちが幼児期のICT利用について考えるとき、

「何歳から使わせるか」
「何分までならよいか」だけではなく、

「何のために使っているのか」
「どんな使い方を経験しているのか」という視点も大切にしたいと思っています。

ICTを避け続けるのではなく、”望ましい使い方”に、積極的に触れさせていくこと。

その積み重ねが、やがてこども自身がICTとよりよく付き合っていくための土台になるのではないでしょうか。

これからのこどもたちが、私たち以上にICTに囲まれた社会を生きていくだろうという予想に、誰も異論はないかと思います。

だからこそ、ICTからこどもを遠ざけずに、「この道具を、何のために使うのか」を一緒に考えていきたいと思います。

2024年10月のブログで、「問いと答えの距離」が大切なのだということを書きました。

ICTは、その距離を一瞬で縮めることができますが、こどもの育ちを考えた時には、ストップをかけたい場面もあります。その便利さに任せて、問いが生まれるたびにすぐ答えを返してしまえば、こどもが考えたり、試したり、迷ったり、もう一度見てみたりする機会を奪ってしまいかねません。

便利になったはずなのに、その結果として、こどもの育ちにつながる大切な時間を失ってしまう。そんな皮肉なことは避けたいですよね。

ICTを使うことで、現実の世界を見なくなるのではなく、
ICTを使ったからこそ、もう一度、現実の世界をよく見てみたくなる。

単に答えを教えてくれる道具ではなく、自分の「なんだろう」を広げ、深めていくための道具としてICTと出会っていく。

幼児期のICTとの付き合い方は、そんなところから始めるべきなのではないでしょうか。

保護中: 第6回写真販売展示室の公開

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令和8年10月献立・給食だより

令和8年度10月の献立・給食だよりを公開いたします。

画像をタップするとファイルが開きます。

 

”きょうも、ぼくがきめてもいい?”

先月は更新ができず、すみません。

虫捕り、製作、ブロック、お絵描き、ごっこ遊び等々、こども達それぞれの興味関心に応じて、熱が高まっている今日この頃です。

ご家庭で朝から「早く保育園に行きたい」と言っているお子さんもいるようです。こども自身に「保育園に行く目的(何をしたいか)」があり、「自分が行きたい」と思える場所になっているということは、教育者として、何より嬉しいことです。

これからも保育園という場所が、こども達一人ひとりがいきいきと過ごし、遊びや生活を通して豊かに育っていく場所であり続けられるよう、職員一同尽力して参ります。

今月も写真のあとにブログ記事を書きますので、ご興味のある方はぜひご覧ください。

 

 

 

 

 

 

「これぐらい、いいだろう。」のバッドサイクル

保育や子育ては、特別な一日で決まるものではありません。

毎日の何気ない関わりや、小さな判断の積み重ねによって、少しずつ輪郭が立ち上がり、細部が描き込まれていくものです。

巷でも現場でも、「保育の質」という言葉がよく使われます。

この、保育の質を左右するのは、特別な技術や高価な教材、設備の立派さだけではありません。

実は、おとなの毎日の一つひとつの小さな選択が、大きなインパクトを持っているかもしれません。

組織論には、「逸脱の正常化」という考え方があります。

最初は「例外」だったことが、問題が起きないまま繰り返されることで、いつの間にか「普通」になってしまう現象です。

もともとは航空宇宙や医療、安全管理の分野で使われる言葉ですが、保育や子育てにも通じるものがあります。

例えば、

「今日は忙しいから、こどもの話は後で聞こう。」

「時間がないから、こどもの意見は聞かずに大人が決めてしまおう。」

「今日はわたしの機嫌が悪いから、少し強く言ってしまっても仕方ないだろう。」

その一つひとつの「例外」は、一回だけなら大きな問題にはならないかもしれません。

でも、その「これぐらい」が何度も繰り返されると、少しずつ当たり前になっていきます。

こどもの話を最後まで聞かないこと。

待つ前に、大人が手を出してしまうこと。

こどもが考える前に、大人が答えを出してしまうこと。

最初は「今日だけ」のつもりだったことが、やがて「いつものやり方」になります。

そして、その「いつものやり方」が、家庭や園の文化になっていくのです。

大人に決めてもらうことが当たり前になれば、自分で考えたり、自分で決めたりする経験は少なくなります。

すると、指示を待つことが増えたり、自分から動き出すことが難しくなったりすることがあります。

その姿を見た大人は、

「この子は自分で決められない。」

「集中力がない。」

「もっと細かく教えなければ。」

と感じ、さらに大人が決める場面や指示を出す場面が増えていきます。

すると、こどもはますます自分で考えたり選んだりする機会を失い、さらに受け身になっていく……。

こうして、大人の関わりがこどもの姿をつくり、そのこどもの姿が、さらに大人の関わりを変えていく。

これが、保育や子育てで起こり得るバッドサイクルです。

だからこそ、「これぐらい、いいだろう。」が当たり前になってしまう前に、ときどき立ち止まって振り返ることが大切なのだと思います。

もちろん、人は機械ではありません。

忙しい日もあります。

疲れている日もあります。

心に余裕がなくなる日もあります。

どうしても、人間には「ゆらぎ」があります。

ですから、一度うまくできなかったことを過度に責める必要はありません。

大切なのは「これぐらい、いいだろう。」が積み重なり、それが当たり前になってしまわないように、良いサイクルに戻そうとすることです。

良い関わりも同じように積み重なります。

こどもの話を最後まで聞く。

口を出さずに待ってみる。

「どうしたい?」と尋ねてみる。

自分で選べる場面をつくる。

これも、一つひとつは小さなことです。

それをしたからと言ってすぐに大きな変化が見えるわけではありません。

それでも、その積み重ねは、こどもの育ちを支えていきます。

「自分で考えていいんだ。」

「失敗しても大丈夫なんだ。」

「挑戦してみよう。」

そんな気持ちが育まれます。

そして、その挑戦が成功体験となり、自信につながり、また次の挑戦へとつながっていきます。

これがグッドサイクルです。

保育も子育ても、私たち大人が完璧である必要はありません。

大切なのは、「今日はできなかった。でも、明日は少し待ってみよう。」と、良い関わりに戻ろうとすることです。

毎日100点を目指すのではなく、昨日より少しだけこどもを信じてみる。

その積み重ねこそが、保育や子育ての質を高めていくのだと思います。

ちょっとずつ、本当に小さないいことを積み重ねる。

その小さな積み重ねが、やがてこどもの育ちとなり、家庭や園の文化となり、未来をつくっていきます。

私たちが大切にしたいのは、一度の素晴らしい実践ではありません。

見栄えのする取り組みを無理に続けることでもありません。

続けられる小さな実践を、毎日少しずつ積み重ねることです。

反対に、「これぐらい、いいだろう。」という小さな妥協も、積み重なれば当たり前になります。

未来をつくるのは、特別な日の大きな一歩ではなく、毎日の小さな一歩です。

だから私たちは、今日もまた一つ、「こどものためになる小さな選択」を積み重ねていきたいと思います。

その積み重ねが、こどもたちの未来を育て、保育や子育ての質を高めていくのだと信じています。

保護中: 第5回写真販売展示室の公開

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令和8年9月の献立・給食だより

令和8年9月の献立及び給食だよりを公開いたします。

画像をタップするとファイルが開きます。

令和8年度8月の献立・給食だよりの公開

8月の献立・給食だよりを公開いたします。

画像をタップするとファイルが開きます。

※ドキュメンテーションにつきましては、今後、個人情報保護の観点から「コミュなび」で利用者の方のみに配信させていただきます。ご了承ください。

保護中: 令和8年度第4回写真販売展示室のご案内

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”ぼく(わたし)もやってみたい!”

最近、月末に投稿ができず、申し訳ございません。

この時期は、水遊びや泥遊びが盛んになる時期です。当園でも、雨上がりの水たまりや、テントに溜まっている水等を利用してどろんこ遊びが始まります。

遊びたい場所まで水を運んだり、そこで土と混ぜたり、水と土の割合を変えて感触を楽しんでみたり、あるいはバシャバシャと跳ねてみたり。こどもたちは思い思いに遊びを広げていきます。

泥には可塑性があり、水の量や混ぜ方、手の加え方などによって、固くも柔らかくもなります。そして山になったり、水路になったり、だんごになったり、ジュースになったり、ごちそうになったりもします。決まった正解があるわけではなく、こどもの関わり方によっていくらでも形を変えていく、非常に学びの多い素材です。

寒い時期には扱いにくいので、今の時期に存分に触れていきたいですね。

今月も写真のあとにブログを書きますので、ご興味のある方はぜひお読みください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年の9月に、ブログで「模倣」について書きました。今回は、「よい行動を見せれば、こどもはそれを自動的にまねるのか?」ということを、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。

模倣は、単なるコピーではありません。こどもは、見たものをそのまま写しているのではなく、自分の身体や自分の理解、自分の欲求、人との関係の中に取り込みながら、自分なりに作り替えています。まねながら見て、考え、感じ、関係に入り、少しずつ自分を作っているのです。

たとえば、保育者が泣いている子に「びっくりしたね」と声をかける。それを見ていた子が、別の場面で友だちに「びっくりした?」と言う。これは単なる言葉のコピーではありません。「相手の状態に気づき、言葉を添え、安心できる関係をつくる」という関わり方を取り込んでいるのです。

逆に、大人が強い言葉や力でこどもを動かしていれば、こどもはその関係の作り方も学びます。たとえば、大人がこどもを叩いて言うことを聞かせていると、こどもは「叩く」という行為だけでなく、「強い立場の人は、弱い立場の人を力で動かしてよい」という構造まで受け取ってしまいます。こどもは、大人が言っていることの中身よりも、大人の振る舞いを見ています。

では、こどもはどんな人を真似したくなるのでしょうか。

こどもは、必ずしも「正しい人」をまねるわけではありません。まねしたくなるのは、「輝いている人」です。静かに座っている子がいても、その表情が沈んでいて、大人に合わせるためだけの“いい子”になっているなら、こどもにとって魅力的なモデルにはなりにくいです。一方で、望ましくない行動であっても、目がキラキラし、場を動かし、楽しそうに見えれば、そちらに引き寄せられることがあります。

ちなみに「輝いている人」とは、元気いっぱいで目立つ子だけを指すのではありません。落ち着いて話を聞く姿に惹かれる子もいます。場を明るくするムードメーカーに惹かれる子もいます。身体を大きく使って遊ぶ子に憧れる子もいれば、黙々と遊びを深める子、小さい子にやさしく関わる子に憧れる子もいます。

だから、集団の中にいろいろなモデルがいることは、とても大切です。「こういう子がよい」という一つの型だけが強くなると、その型に合わない子は、自分の居場所を見つけにくくなります。静かな子だけが評価される場では、元気いっぱいの子は自分を出しにくくなります。反対に、活発な子だけが目立つ場では、じっくり考える子や、ゆっくり関わる子は埋もれてしまいます。

いろいろな姿が、その場の中で大切にされている。いろいろな関わり方が、認められている。いろいろな「輝き(きらきら)」が、見えるようになっている。そういう環境があるから、こどもは「自分に近いモデル」や「少し先の自分」を見つけることができます。そして、「自分もこのままでいていい」「あんなふうになってみたい」と感じながら、安心してその場にいることができます。

模倣には、動機がいります。こどもは、ただ目に入ったものを何でもまねるわけではありません。「楽しそう」「仲間に入りたい」「自分にもできそう」「先生に見てほしい」「強くなりたい」「安心したい」。そうした動機から、模倣が始まります。

だから親や保育者が見るべきなのは、「何をまねているか」だけではありません。「なぜ、それをまねたいのか」です。望ましくない行動がまねされるときも、そこには注目されたい、身体を解放したい、場を動かしたい、といった動機があるのかもしれません。行動を止めるだけでなく、そのエネルギーをよりよい形に移し替える必要があります。

親や保育者の仕事は、こどもを従順にすることではありません。望ましい行動を、我慢や迎合ではなく、こども自身の主体的な行為にしていくことです。

模倣とは、誰か一人を見習わせることではなく、いろいろなモデルに出会う中で、こどもが自分なりの育ち方を見つけていくことです。

だから私たち親や保育者は、こどもたちに「こうしなさい」と形だけを求めるのではなく、「ぼくも、わたしも、やってみたい」と思えるような、いろいろな輝きが見える場をつくっていきたいですね。

令和8年度7月の献立・給食だよりの公開

令和8年度7月の献立・給食だより、6月のドキュメンテーションの一部を公開します。

今月より、献立と給食だよりのファイルを結合させていただいております。

画像をタップするとファイルが開きます。