8月も最後の週となり、いよいよプール納めでした。
写真は取り損ねてしまったのですが、8月に入ってからたまにプールに顔を出し、浮力を体験する活動をしてみたり、プールの水を汲んでバケツまで移す活動をしてみたりと、いろいろな活動を提案してみました。
水を汲む活動では、「園庭にあるものなんでも使っていいよ」と自由に道具を選んでもらうと、スコップや湯切りのザル、バケツ2つ、ペットボトルやトロッコ等、多種多様な用具を持ってくる子がいました。
それぞれの方法の中で、用具の形状による特性や水の特性、協力の仕方(役割分担、バケツリレー、複数人で1つの大きな容器を使って運ぶ等)など、いろいろな学びがありそうだなと感じ、もっとこの先を見てみたいと思いましたが、プールが終わってしまいました…。まだまだ暑い日は続くので、プールじゃない形で発展の形を模索したいですね。
今月も、長々と保育に関する情報発信をしていますので、ご興味のある方は写真のあとの文もお読みいただけると嬉しいです(^^♪






先日、鹿屋市保育会の園長研修があり、研修後に他園の先生方と食事をしました。その中で、ある若い園長先生(私よりは年上ですが…)が、「最近は、ケガをすることに対して肯定的な保護者の方が増えてきましたよね。」とお話をされていました。同席した色々な園の話を聞くと、ひと昔前は、かすり傷一つで大きな騒動になることもあったようで、木登りができないように園庭の木を切り倒したり、遊具を撤去したりと、いろいろと対策をされていたようです。
こどものケガに対して過剰に反応し、リスクから遠ざけようと躍起になるのは、望ましいことではありません。
遊びには、危険性そのものが遊びの中に存在していて、危険を除去できないものも多く存在します。走って遊んでいれば転ぶ可能性があり、平均台で遊んでいれば落下する危険性があるのです。リスクそのものが魅力という遊びも存在します。そのため、遊びが生活の中心である以上、怪我を全くしないということはほとんど不可能なのです。
当園では、“学びになるケガは恐れず”に、保育をしていこうという方針で、日々こども達とかかわっています。学びにならない怪我とは、取り返しのつかない怪我です。一般的に、ハザードと呼ばれる危険が誘引するものが多いです。ハザードとは、「遊びの価値とは関係のないところで事故を発生させる恐れのある危険性」、「こどもが予測できず、対処が不可能な危険性」などと言われています。これらについて全部話すと長くなってしまうので、興味のある方は調べてみてください。
私が2年半前に園に来た時、第二園庭の吊り輪は紐で縛られ、使用できない状態になっていました。ある先生に理由を尋ねたら、「こども達が吊り輪に気付かずに通過して、頭を打つから」、「落ちたら危ないから」という話でした。なんだ、そんなことかと思って、すぐに紐を切り、吊り輪を下ろす時はマットを敷くようにしました。それ以来通過時に頭を打つ子はいません。吊り輪からの落下に伴うリスクの低減にもなりますし、「マットが出ているときは、吊り輪が下りている」という情報にもなりますから、迂回したり、気を付けて通ったりできるわけです。「マットに乗るのは一人ずつだよ」と視覚的な情報とともにルールも提示でき、人的なハザードも一つ防げるわけです。やみくもに禁止、禁止ではなく、適切なリスクアセスメントを行い、こどもの育ちの機会を保証していく必要があります。
また、昨年度の寒い冬のある日は、お散歩に行った際、道路上に氷が張っている場所がありました。ある先生が「ここ凍ってるから、近づかないように」と指示を出し、こどもを迂回させていました。私は、もったいないなと思い、氷に近づき「氷だよ、ほら、ツルツル滑るね~。」と足でツルツルとやってみせました。すると、こども達も興味をもち、足でツルツルと真似をするわけです。そこに伴うリスクは把握したうえで、安全な関わり方の範囲で体験をするということも大事です。砂を滑るのと、靴下で床を滑るのと、氷を滑るのは、”滑る”という言葉は同じですが、感覚は全然違います。氷が滑るという概念と感覚、路面が凍結することがあるという事象を直接体験することによって、その後の予測・対処の質も深まっていくわけです。危険を遠ざけるだけでは、学びを後回しにしているだけに過ぎません。
転ばぬ先の杖でいろいろと口を出し、手を貸しとやってしまいがちですが、こどもにとって、つまずかないことは全く重要ではありませんし、つまずかないように大人が手をまわし過ぎることで、遊びの選択肢や、育ちの機会を奪うことにつながっていってしまうのです。
お子さまのケガについて、それがハザードによるものでなければ、挑戦した結果だ、また一つ体験を重ねたんだというようなポジティブなとらえ方で、それも育ちの過程の一つとして、お子さまと対話をしていただけると学びが深まるのではないかと思います。
今月もありがとうございました。来月もよろしくお願いいたします!
園長
久しぶりの更新となってしまいました。
前回の更新から、さまざまなイベントがありました!うなぎのつかみ取り、そうめん流し、夏まつり、そしてお盆休み。夏らしいですね。
夏まつりは、ひまわり組さんの園児発信のイベント。まだ春じゃない?という時期から見通しを持って活動してくれていました。お化け屋敷が怖すぎてお客さんがなかなか来てくれなかったり、お祭りには想定以上にお友だちが来て個数制限をすることになったり、計画していた実施日が、実はLet’s体操の日だったり…笑(「れつ先生、相談があるんだけど…」と自分たちで話をしにきてくれました)
いろいろな出来事の中で、多様な学びが得られたのではないかと思います。途中で投げ出さずにやり遂げたことにあっぱれです。写真をどうぞ(^^)/









↑夏祭りに欠かせない花火も、工夫して表現していました(^^♪

8月もラスト一週間。来週はプール納めです。光陰矢の如しですね。
今週もありがとうございました!来週もよろしくお願いいたします!
園長
先日、こども達と水遊びをしていると、スマホから津波警報のアラートがなりました。地震速報かと思い避難指示を出したところ、素早く避難行動をとってくれたこども達でした。いつ大地震や火事が起こるかわからない中、指示に応じて的確に避難行動をとってくれるのは本当に頼もしいです。
いよいよ7月も終わりを迎え、これで年度の3分の1が終了しました。日々こども達の成長の早さを実感し、発想の豊かさに感心するとともに、残された時間で園として、一人の職員として、一人の大人として、こども達になにができるのだろうかとわくわくしている私です。
ぜひ、保護者の皆様も巻き込んでわくわくしたいなと思っております。お付き合いください(^^♪
今月も写真のあとに保育・教育についてだらだらと書き連ねるのですが、先日あったエピソードを踏まえてしゃべるのでテーマが先月と若干被ります。ご了承ください。
今月もありがとうございました。来月もよろしくお願いいたします!
園長






先日、ミニキャンプの行事内で行うキャンプファイヤーの練習を見に行きました。営火長や火の守達が「火がついている体(てい)の棒」を持って練習をしているのですが、振り回してみたり、人に向けてみたり、落ち着かない様子でした。キャンプファイヤー中も、炎が燃え上がっている(であろう)場所を突っ切ってしまったり、近づいてみたりという状態でした。
私は何も言わず見ていたのですが、こども達の様子から素直に、「たぶん、火を見たことがないんだろうな」と感じました。練習が終わり、こども達に向かって「みんな、火みたことある?」と尋ねたところ、火を見たことがある子は半分もいませんでした。見たことあると言っている子の中にも、「テレビでみたことある」という子が混じっていたので、実際の火を目の当たりにしたことのある子というのは、ごく一部だったのかもしれません。
キャンプやバーベキューをする世帯ばかりじゃありませんし、野焼きも規制が厳しくなりましたし、キッチンもIHになっていたり、こどもが入ってこないように仕切りがあったり等々、こども達が見る機会のある火と言えば、お誕生日会のろうそくぐらいかもしれませんから、火を見たことない子がたくさんいるのも当然だよな、と思いました。
概念の獲得において、実体験に勝るものはありません。というわけで、担任の先生に協力してもらい、火を見る時間を取り入れてみることにしました。なんてことのないただ園庭の中心で薪を組み、火をつけるだけの活動です。
ただそれだけのことですが、明確に火や、燃えるということの概念がこども達の内側から形成されていくわけです。ぱちぱちと音を立てて燃えること、火花が散る事、煙が上に登っていくこと、煙が目に入ると沁みること、火に近づくと暑い(熱い)こと、風向きで煙や熱が向かう方向が変わること、燃えるともろくなって崩れること、燃えた物はもとには戻らないこと等々、あらゆる要素が存在しています。
これまでに避難訓練で、火事のときのお約束として「おかしも」とか、ハンカチで口を覆って姿勢を低くして…とか言っていろいろと訓練してきていましたが、そもそも火や、燃えるということに対する概念をこども達は持っていなかったわけですから、「聞かされて覚えさせられてやらされる」ものだったということです。とても反省させられました。命を守るための避難訓練なので、やらないよりはましだと思いますが、火に限らず、概念を獲得していて意味が分かってとっている行動と、ただの形式的な行動との間には大きな違いがあります。
先月取り上げた崖の例もそうですが、概念を獲得しているかどうかによって、まわりの人が話している言葉や、本やテレビの記述・映像などから感じる情報の豊かさが全く異なってくるわけです。当然、そこから自分が感じることや、自分がとる行動やその質等も大きく変容してきます。
世の中のあらゆる事象に対する概念や意味を、こどもの内側から形成していくという視点を重視し、保育に努めていかなければならないと改めて感じさせてくれた出来事でした。
全国的に気温が40℃に達する地域が多発するなど、今年は一段と厳しい夏になるようです。
暑さが増すとともに、今週はカブトムシやセミ、トンボなどが園庭に現れ、採集と飼育に明け暮れる子どもたち。この出来事を通じてこども達がどのように学びを深めていくのか、会話や行動など、丁寧に見守っていきたいと考えております。
また、プール開きから約4週間が経ちますが、すっかりと水をとらえる感覚をつかみ、バシャッと飛ばすことのできる水の量や、その飛距離に変化が見られています。水に顔をつけるなど、挑戦する行動もたくさん出てきているので、プール遊びの見守りガイドラインにのっとり、事故のないよう見守りを徹底していきます。







今週も残り3日、よろしくお願いいたします。
土曜日のミニキャンプも、楽しみですね(^^♪
園長
例年より早い梅雨入り、そして梅雨明けを経て、早くも厳しい暑さが到来しております。
本日よりプール開きとなり、水遊びを楽しむ子どもたちでした。ぜひ水曜日からの保育参観でも、こども達ののびのびと過ごす姿をご覧いただければと思います。
今月も、写真のあとに保育に関連するお話をしたいと思います。
お時間のある方はぜひご覧ください(^^♪








今月は、当園の保育テーマの一部、「五感をしっかりと育てていく」という言葉を解説していきたいと思います。
五感とは、視覚、嗅覚、聴覚、触覚、味覚の5つの感覚を指しますが、この感覚をそれぞれ育てていきましょうと言っているのではありません。このテーマには、「実体験を通した“学び”が、こどもたちの中に“生き生きと記憶される“保育」を目指していくという意味が込められています。
我々は、五感を通じてこの世界のあらゆる事象をその身に引き受けます。すなわち、実体験を“豊かに”積み重ねていくことは、五感を豊かに養っていくことに直結します。そして、実体験を通した五感を刺激する学びは、その身に深く刻まれ、その後の人生における学びを豊かにしていきます。
レモンを例に挙げましょう。図鑑や絵本を見て、「この黄色の果実はレモンという名前で、熟す前は緑色をしていて、大きさは何センチぐらいで、食べると酸っぱいらしい」という文字・視覚情報による学びは、実際のレモンを見たことも食べた事もなければ、一瞬で忘れ去られてしまいます。
一方で、レモンの木が庭に生えていて、熟す過程を観察して、収穫をし、実際に触れ、食べるという経験をしたこどもは、レモンの見た目、手触り、大きさ、味、においなどの具体的なイメージが非言語的な形で自動的に形作られるわけです。「レモン」という名前は忘れてしまうかもしれませんが、別に幼児期においてレモンという名前を忘れてしまうことなど、大した問題ではありません。
こんなエピソードもあります。
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川崎のある小学校で国語の授業を見たときのことです。新見南吉の作品に、「オオカミは何百尺の谷底にまっさかさまに落っこちてしまいました」というような記述があったんです。子どもが「先生、何百尺ってどのくらいなの?」と聞いたので、先生が「そうだな、今で言うと二百メートルぐらいかな」なんて答えました。
皆さん、谷底を見たことがありますか?思わず足がすくみますよね。その谷底を見下ろす上のほうにいたら本当に怖いなと思いますよね。でも、その二年生のクラスの子どもたちは、誰も「谷底」というものを見たことがなかったんです。「谷底ってなに?」って言ってるんです。するとある子が「高いビルの上のほうから落っこちたのと同じじゃない?ビルの上からパチンコ玉を落としたら、地面の中にぐっと入っちゃってすごいんだよ」と話して、それではじめて「ああ、そういうことか」とみんながわかったんですね。
本当は、足がすくむような二百メートルの谷を見下ろす感覚があり、下には細い川が流れていて、そこをめがけて真っ逆さまに落ちていった場面を想像してほしいのだけれど、谷底というものがわからず、ビルの上からパチンコ玉を落とした風景を想像して納得した。これ、皆さんはどう思いますか?
~~~~(汐見稔幸『新時代の保育のキーワード』から引用)
我々は経験したことのない事象は、その一部分しか推し量ることしかできません。「パチンコ玉がビルの上から勢いよく落ちて、地面にぐっと入っちゃう」という例は、あくまで落下の勢いの話をしています。あまりの高さに恐怖し足のすくむ“感覚”、そしてそこから落ちるという”恐怖”にまでは想像が行き届いていなく、そういった含意をくみ取れていないのです。
もちろん、オオカミが200メートル先の谷底へ落ちていくことを、ビルの上からパチンコ玉が落下することに置き換えて理解をしようとすることは、既に知っていることを応用してものごとを捉えようとする素晴らしい姿勢です。しかし、様々な体験や感覚の有無が、学習におけるイメージの形成に影響を与える可能性があるということは幼児教育・子育てに携わる者として押さえておきたいところです。
小学校以降になって学ぶことの多くは、幼児期の体験を、言語や記号などで意味づけたり、理論づけたりしていくような内容です。だからこそ、幼児期の体験が乏しいと、意味づけていく土台がないために、教え方によっては単なる“机の上での理論の学習”になってしまいかねません。
知識を文字や映像で「頭」で“記憶する”のではなく、実体験を通してこの世界を自己の全体で感じ、“生きたイメージとして記憶される”、そんな保育・子育てを心がけたいですね。