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お健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。今年も旧年に引き続き、ご芳情を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。今年一年が、皆様にとって幸多き年となりますよう、心からお祈りいたします。
さて、今年も年始恒例の焼き餅、そしてお正月遊びが行われました。コマ、羽子板、かるた等々、日本の伝統的な遊びに親しむ子どもたちでした。
お正月ムードは早々に過ぎ去り、今週は「あしたせつぶん~?」と尋ねてくる子どもたち。だいぶ気が早いですが、楽しみがあるのはいいですね~(^^♪
水曜日には、ボランティア活動も行われました。今回は、袋いっぱいにゴミを拾って帰る子がたくさん。捨てる人がたくさんいたのか、最近風が強かったのでどこかから飛んできてしまったのかはわかりません。しかし、いずれにせよ、道にたくさんゴミが落ちている光景は、子どもたちに見てほしいものではありません。大人から子どもまで、一人ひとりが町の美化に努めていきたいものです。
今週もありがとうございました!本年もよろしくお願いいたします!
園長
※明日からハンドボールの大会で園長不在のため、早めの投稿となりました。
みんながすやすやと眠っている間に、今年もひなぎく保育園にあの方が来てくれました(^^♪
サンタクロースさんです!プレゼントをもらって大喜びの子ども達。
年長さんは、クリスマスケーキ作りもありました!自分でつくったケーキは、とってもおいしかったようです!(最後の写真は調理室作です)
いよいよ、2024年最後の保育園が終わりました。今年も、保護者の皆様には多くのお力添えを頂きました。ありがとうございました。
さらに信頼される園、そして信頼される園長になれるよう、来年も邁進してまいります。2025年も引き続き、ともに子どもたちの成長を見守る仲間として、支え合っていければと思っております。よろしくお願いいたします。
月末の話はまた長くなりそうです。ご興味のある方はお手すきの際にぜひ(^^♪
園長
今回は、物の持つ役割について考えていきたいと思います。
「〇〇は、〇〇するためのものではありません。」この言葉、様々な場所でよく聞きます。これ、大人の価値観で考えれば、その通りです。
はさみは、切るためのもの
カメラは、写真をとるためのもの
イスは、座るためのもの
えんぴつやペンは、なにかを書くためのもの
おそらく、上に挙げた例について、ほとんどの人は何も疑いません。別に間違っていないからです。しかし、短絡的に子どもにこれを押し付けてしまうのは、望ましい在り方ではないかもしれません。
なぜなら、物そのものが役割を持っているわけではないからです。物の役割は、「人が物に役割を“与える”」ことによって、初めて見出されるのです。
椅子を例に考えれば、イスは「座るためのもの」という役割が一番しっくりくるかと思われます。テーブルで食事をするときや、机で勉強をするときなどは、確かにそのような役割で利用します。
しかしながら、人は電球を換えたいとき、脚立などが無ければ、イスに「足場になるもの」という役割を与えます。ちょっとメモを取りたい時には「書くための台になるもの」という役割、上着を脱ぎたいときには、「上着をかけられるもの」という役割を、不審者対応の際には、「武器になるもの」という役割を、人間の都合によってその都度イスに与えているわけです。
このとき我々が目を向けようとしているのは、その物の役割ではなく、その物が持つ「特性」です。イスにもいろいろ種類があるので一概には言えませんが、保育園や学校にあるような4本脚のイスには、「ちょっとした高さがある」、「安定している」、「ある程度の重さに耐えられる」、「背もたれがある」、「座面が木でできており、硬い」などの特性があるわけです。
子どもたちにとって、「物の持つ“一般的”な役割」を知ることも大事な学びの一つだと思います。しかし、その物が持つ「特性」に目を向け、「こういうことができるんじゃないか?」と工夫してみることのほうが、学べることは多いのかもしれません。
特性に目を向ける事から生じる工夫を受容し、子どもたちの物事の捉え方を豊かにしていくことが、幼児期には大切なのではないかなと考えております。もっと便利なものがあることは、後から学べばいいのです。
ちなみに、役割が限定され過ぎているものは、特性に目が向きにくいと思います。例えば、「えんぴつ削りの他の使い方は?」と言われても、私は恥ずかしながら1つも思いつきません。だからこそ、保育・子育ての環境に置くものは、役割が限定されていなさそうなもののほうが良いのではないかと思っています。
幼児教育の現場では、遊び方が決まっていないおもちゃがいろいろと開発されています。遊び方が決まっていないので、大人も遊び方がわかりません。そういったおもちゃを導入すると、「これどうやって遊ぶんですか?」と先生方に聞かれます。でも、どのような特性を見出し、どのように遊びを展開していくかは、子ども一人ひとりの発想に委ねられているのです。
Let‘s体操で使うブロックも、お家ごっこの壁やテーブルになってみたり、太鼓になってみたり、鉄棒に上がるための足場になってみたり、遊びの中で色々な発想で活用してくれています。
ジェンガを赤ちゃんに見立てて、家族ごっこをしているお友だちもいました。そういう使い方もあるか、といつも驚かされます。毎日子どものどんな発想に出会えるか、とても楽しみにしています。
ちなみに・・・
今回の話は、本来の用途とは違う使い方をすることに対して、「作った人の気持ちを考えましょう」という論の展開もありえますから、ダブルスタンダードにならないように気を付けなければならない部分でもあります。教育や子育てって、難しいですよね。だからこそ、楽しいですよね。
12月7日、14日の2日間にわたり、お遊戯会が開催されました!
運動会とはまた異なり、すぐ目の前に保護者がずらっと並んでいるため、圧倒されている子も多くいましたが、全体的に楽しく、一生懸命に取り組む姿が印象的でした。
人前で表現をすることの楽しさや喜び等の、様々な感情が子どもたちに芽生えた、貴重な一日となったのではないかと思います。保護者の皆様には、多方面で多くのご協力をいただきました。ありがとうございました。
朝、たくさん着込んでくる子どもたちですが、園庭に出て少しすると「暑い」と上着を脱ぎ始めます。気温も下がり、活発に動く子が増えてきました。元気が一番ですね。
来週はいよいよ、2024年最後の1週間です。クリスマス会も開催されますので、体調を崩さず、元気に登園してきてくれることを願っております。
今週もありがとうございました。来週もよろしくお願いいたします!
園長
日中もかなり寒くなり、いよいよ本格的な冬の訪れを予感させられるようになってきました。部屋の湿度管理、消毒、衣服の調整等で体調管理には努めていますが、体調を崩すお子さんもちらほら出てきました。
インフルエンザ等の感染症が流行する時期でもありますので、無事におゆうぎ会に全員が参加できるよう、ご家庭でも手洗いうがいにご協力いただけますと幸いです。
また、長くなりそうなので先に写真をご覧ください(^^♪
11月も終わりなので、「褒め方」について語ってみます。とはいっても、褒め方について全部語るととんでもない文量になってしまうので、最近あった出来事を一つの事例として、一要素を考えてみたいと思います。
先日、こんな場面がありました。
ある土曜日、私は学童の様子を見ていました。お昼の集まりの場で、支援員から私に対して、「自由時間中に、勉強をしたいと言っているお友だちがいるんですよ」と、声をかけられました。集まりの最中なので、子どもたちはみんな、私の反応に注目しています。
さて、なんと言いましょう。迷う時間は、2秒もありません。
この一瞬の間に、「おりこうだね」、「すごいね」、「えらいね」などと褒めてみる、「勉強が好きなんだね」と素直に解釈して返してみる、「自由時間なんだから遊んだらどうかな?」とあえて違う行動を提案してみたりなど・・・いろいろなパターンが頭をよぎりました。どのパターンも違うなと感じた私がとった反応は、「ほ~~ん。」でした。支援員ともよく話をしますから、こんな反応も予想通りだったようです。笑
今回は褒め方がテーマです。なぜ私が褒めなかったのかということを、記していきたいと思います。
私は「大人の価値観を植え付けないこと」を意識しています。そのため、特に思惑がない限り、先の例では何度やっても同じような反応になると思います。「自由時間に勉強をすることはえらい」というのは、大人の”誤った価値観”であると思っているからです。自由時間なのですから、集団の規律の範囲内であれば何をしていようと、「えらい」とか「えらくない」ということは本来ないはずです。
しかしながら、自由な時間に使える時間に、勉強などの社会的に評価される行動を取っていると、「えらい」と感じてしまいがちです。大人が何かに対して一度おりこうと言ってしまえば、子どもたちは、「〇〇する人はおりこうで、〇〇しない人は相対的におりこうではない。」という価値観を持ってしまいます。
だからこそ、先の例で”勉強をすることは良いことだ”という認識のもとに、私が「おりこうだね」と言ってしまった場合、他にも自由時間に勉強をする子が出たと思います。
こういった事象は、勉強する子が増えるという表出する部分だけ見ると良いことのように思えます。しかし、考えなければならないのは、「”おりこう”であるために」その行為を選択するということが、はたして適切であるのかということです。
称賛によって一時的に行動を引き出すことができたとしても、将来的に、「褒められないとやらない子」になってしまっては、本人が困るわけです。
また、先ほどの事例の子が「好きだから」、「必要だから」のように自分の意思で勉強をしようとしていた場合も、「おりこうだね」と声をかけてしまうのは、実は危険です。なぜなら、「勉強」と「褒められる」ということが結び付いた結果、「好きだから」していたはずの勉強が、「おりこうであるために」勉強をしているという状況に徐々に変化していってしまいかねないからです。
だから、今回の場面でも、褒めなかったのです。
自分が選んだ行為の結果として「おりこうさん」のように見えることと、「おりこうさん」であることを目的として行為を選択してしまうこととの間には、明確に違いがありますが、端から見ると全く区別がつきません。しかし、後者は将来的に問題が露呈することがあります。他者基準で行動を選択していますから、褒められなくなったり、周囲のレベルに着いていけなくなったり、価値観の異なる集団に飛び込んだりしたときなどに大いに苦しみ、時に崩れていくこともあります。
前者に関してもそもそも現代は、既にいわゆる”おりこうさん”を育てる時代ではありません。おりこうさんには、おりこうさんなりの課題があります。大人のいう事を何でも聞き、余計(勝手)なことをせず、指示の呑み込みも早い等々、社会的に望ましい行動ばかりとるようなおりこうさんに子どもがなって”しまったら”、いずれにせよ保育や子育ての仕方を見直す必要があるのかもしれません。
価値観の別れるところかとは思いますが、もう”大人が管理”する保育・子育ての時代ではありません。子どもの主体性と自由な意思を伸ばすような日々の関わりを、意識していきたいですね。
話しがあちらこちらに飛んでしまい、主張が読み取りにくいですね。推敲不足で申し訳ありません。
今週もありがとうございました!
土曜日は、いよいよ未満児さんのおゆうぎ会です。無事にみんながステージに上がることができるよう、祈っております。明日からもよろしくお願いいたします!
園長
今週は、11月生まれのお友だちのお誕生日会がありました!10月に参加できなかったお友だちも、お祝いしてもらいました。
会のあとは、未満児さんは小麦粉粘土、以上児さんはフルーツ狩りゲームを楽しみました。月に1回のお誕生日会、お誕生日ではないお友だちも、何のプレゼントを作るか考えたり、お父さんやお母さんからのメッセージを一緒に見たり(聴いたり)、とっても楽しみにしてくれているようです(^^♪
給食もお誕生日会メニューで、子どもたちもワクワク♬
0歳児クラスのお友だちも、自分でモリモリ食べます…!
今週はケガでLet’s体操をおやすみしてしまい、申し訳ありませんでした。次回までにしっかり治します。
今週もありがとうございました!来週もよろしくお願いします!
今週は年長さんが陶芸教室に行きました!はじめての本物の粘土。いつも使っている油粘土とは違い、触っている間に徐々に乾燥してひび割れしてしまうため、やや苦戦。素材の違いも感じながら、最後までとっても真剣に取り組んでくれました。作った作品は、素焼きや本焼きを経て、お皿になることも説明してくださいました。素敵なお皿が焼き上がるのが楽しみですね。
ちなみに、この活動には「製作」のねらいとは別に、「豊かな人間性の涵養」に関するねらいもあります。
今回は陶芸家のもとに行き、その大切な商売道具である粘土や机を貸し出していただき、実際にお皿を作るという体験をしました。こういった、職に触れる活動を通して、あらゆる職業にリスペクトを持つとともに、それぞれの商売道具を丁寧に、大切に扱うことのできる人に育っていってほしいと思っています。
そういった考えも一つの要因として、これからもひなぎく保育園は、地域人材を活用した保育を、積極的に取り入れていきたいと思っています。
先日、とある業者さんが園に来られて帰りに一言、「この保育園は、子どもたちの目がすごくキラキラしてますね。いいものを見させていただきました。」と。これからも、子どもたちにとってさらに魅力的な保育環境、ワクワクする保育活動を目指して職員と共に頑張っていきたいと思います。
というわけで、今週の笑顔集です!
今週もありがとうございました!来週もよろしくお願いいたします!
園長
今週はボランティア活動がありました!道を歩きながらのゴミ拾いです。「ゴミはゴミ箱に捨てる」ということを改めて学ぶとともに、自分たちの住む町の美化に努めることで、地域に対する愛着を育むことをねらいとしています。いつか、ボランティア活動ができなくなるぐらいきれいな笠之原町になってほしいですね。
本日はひなぎく保育園の職員を代表し、笠之原小学校の創立150周年記念式典に参列させていただきました。式典では、中西茂市長の祝辞と、校歌斉唱の2つが強く印象に残りました。
市長の祝辞では、式に先立って行われた合唱の曲、RADWINPSの『正解』の歌詞の一部、「答えがすでにある問いなんかに用などはない」を引用し、子どもたちにメッセージが投げかけられました。市長は「社会では、正解のない問題や、正解がいくつもある問題を日々突きつけられる」という話や、「正解のない問いに対して自分の考えを形成するためには、知識と経験が必要であり、経験とは挑戦である」という話などを子どもたちにもわかるように、丁寧にお話をされていました。
この150周年という節目に際して、小学校で合唱曲に『正解』が選ばれたこと、市長の祝辞の中で「正解のない問題」に触れられたこと、そして私が10日前のブログで「問いには必ず答えがあると思い込んでいる、”正解ありきの子どもたち”」について問題提起をしたこと、に勝手ながら運命的なつながりを感じました。この運命的な出来事を、今後の保育の在り方についてより一層深く考えを巡らせるきっかけにしていきたいと思っております。
また、式の最後に行われた全校児童による校歌斉唱に、大変感動しました。自分たちの通う学校の校歌を、自信を持っていきいきと、元気いっぱいに歌い上げる姿に、笠之原小学校の魅力の全てが凝縮されているような印象を受けました。子どもたちの出身園や出身校、そして生まれ育った笠之原(鹿屋)の町が、子どもたちにとって誇りと愛着を持ち続けることのできる存在であり続けるために、大人もより一層頑張っていかなければいけませんね。
月末でもないのに話が長くなってすみません!
来週は、年長組さんが陶芸教室に行きます!どんな作品ができるか楽しみですね(^^♪
今週もありがとうございました。来週もよろしくお願いいたします!
鹿児島県保育連合会より、いきいきフォトコンテストの案内が届きました!
ぜひ、家庭でのお子さまの素敵な様子を撮影して応募しましょう!
ふるってご応募ください!
応募期間は11月4日~1月10日です。詳細は下のファイルをご参照ください!タップするとファイルが開きます。
QRが読み取れない方用に、URLも貼っておきます。
日中もやや涼しくなり、外遊びやお散歩がしやすくなってきました。
早いもので10月も今日で終わり、今年も残り二か月となりました。
月末なので少し保育について論じようと思ったのですが、長くなってしまったので、先に子どもたちのかわいい写真を載せます。稚拙な文ではありますが、園長が何を考えているのか、ご興味のある方は最後まで読んでみてください(^^♪
問いと答えの距離
「問いには必ず答えがある」、「答えは一つ」といった誤った固定観念が、世の中には蔓延っています。正解は一つだけ。あとは全部不正解。という環境で育ってしまうと、「問題には答えがある」、「正解すると褒められる(評価される)」、「正解を出すことが最も重要である」といった誤った価値観を持った人間に育っていく事になります。「間違った答えをすることは恥ずかしい」という価値観さえ植え付けかねないでしょう。
その結果、自分なりの考え(新しいアイデア)を生み出すことができなかったり、失敗を恐れて行動を起こせなかったりといった実害が出てきてしまいます。
先日、あるクラスの月刊絵本にシールを貼る活動を、見学しにいきました。動物たちにお洋服(シール)を着させてあげる活動です。始まるやいなや、子どもたちは口々に「ねー、どこに貼ったらいいの?」、「これは誰のお洋服?」、「ここであってる?」と問いかけてきます。私は、「誰に着させてあげてもいいんだよ」と伝えましたが、一向に貼ろうとしません。しまいには、子どもたちは担任の先生に聞きに行く始末でした。
男の子がスカートを履いていても、女の子が野球キャップを被っていても、小さな子が大きな服、大きな子が小さなカバンを持っていても、私は別にいいと思います。
でも、こんな些細なことでさえも「正解」ありきの子どもたちは、「正解」があると信じて疑わず、それがわからないために不安で行動が出来ません。
このままでは、これからの人工知能(AI)社会を生きていけません。正解ありきの人間に育ててしまうことは、AIの言いなりになる“ヒト”を育てていることと同じです。そうではなく、これからの時代で重要なのは、「AIを活用し、正解のない問いに人間らしく正対することのできる“人”」に育っていくことだと思っています。
こうした課題を受け、私は子どもへの問いかけをする際に「問いと答えの距離」という概念を重視しています。
人は、問いから“答え(らしきもの)”に向かって歩みだし、そこにたどり着くまでの過程で成長するのです。
決して、答えを知ったときや、何かができるようになったときに成長しているのではありません。だからこそ、問いと答えの間には、距離が必要になってくるのです。
大人はついつい、親切心で答えや近道を教えようとしてしまいます。子どもが困っていると、助けたくなります。
子どもは、できるようになったことを褒めてもらうと、うれしいですし、タイミング的にもわかりやすいです。
このある種両者Win-Winの関係が、成長の機会(過程)を奪うと同時に、「正解ありき」の誤った価値観を植え付けてしまうリスクを潜在的に有しているのです。
大人の知っている「正解」ベースで子どもと関わっていくことは、子どもの発達に関してあまり意味がありません。そもそも、その「正解」も“答えの一つ”に過ぎないというパターンも散見されます。“正解”を教え込んだり、”正解”へのたどり着き方を教えたりするよりも、その子が“答え”を導き出す過程をともに歩んだり、見守ったりするという立場に立つほうが、子どもの発達を促していくうえでは確実に有意義です。これからのAI時代を生きていく子どもたちにとっては、なおさらです。
子どもの数だけ答え(最適解)が出てきて、子どもの数だけ育ちの形があるのが自然なのです。
子どもの育つ力を信じましょう。
今月もありがとうございました!来月もよろしくお願いいたします!