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みんながすやすやと眠っている間に、今年もひなぎく保育園にあの方が来てくれました(^^♪
サンタクロースさんです!プレゼントをもらって大喜びの子ども達。
年長さんは、クリスマスケーキ作りもありました!自分でつくったケーキは、とってもおいしかったようです!(最後の写真は調理室作です)
いよいよ、2024年最後の保育園が終わりました。今年も、保護者の皆様には多くのお力添えを頂きました。ありがとうございました。
さらに信頼される園、そして信頼される園長になれるよう、来年も邁進してまいります。2025年も引き続き、ともに子どもたちの成長を見守る仲間として、支え合っていければと思っております。よろしくお願いいたします。
月末の話はまた長くなりそうです。ご興味のある方はお手すきの際にぜひ(^^♪
園長
今回は、物の持つ役割について考えていきたいと思います。
「〇〇は、〇〇するためのものではありません。」この言葉、様々な場所でよく聞きます。これ、大人の価値観で考えれば、その通りです。
はさみは、切るためのもの
カメラは、写真をとるためのもの
イスは、座るためのもの
えんぴつやペンは、なにかを書くためのもの
おそらく、上に挙げた例について、ほとんどの人は何も疑いません。別に間違っていないからです。しかし、短絡的に子どもにこれを押し付けてしまうのは、望ましい在り方ではないかもしれません。
なぜなら、物そのものが役割を持っているわけではないからです。物の役割は、「人が物に役割を“与える”」ことによって、初めて見出されるのです。
椅子を例に考えれば、イスは「座るためのもの」という役割が一番しっくりくるかと思われます。テーブルで食事をするときや、机で勉強をするときなどは、確かにそのような役割で利用します。
しかしながら、人は電球を換えたいとき、脚立などが無ければ、イスに「足場になるもの」という役割を与えます。ちょっとメモを取りたい時には「書くための台になるもの」という役割、上着を脱ぎたいときには、「上着をかけられるもの」という役割を、不審者対応の際には、「武器になるもの」という役割を、人間の都合によってその都度イスに与えているわけです。
このとき我々が目を向けようとしているのは、その物の役割ではなく、その物が持つ「特性」です。イスにもいろいろ種類があるので一概には言えませんが、保育園や学校にあるような4本脚のイスには、「ちょっとした高さがある」、「安定している」、「ある程度の重さに耐えられる」、「背もたれがある」、「座面が木でできており、硬い」などの特性があるわけです。
子どもたちにとって、「物の持つ“一般的”な役割」を知ることも大事な学びの一つだと思います。しかし、その物が持つ「特性」に目を向け、「こういうことができるんじゃないか?」と工夫してみることのほうが、学べることは多いのかもしれません。
特性に目を向ける事から生じる工夫を受容し、子どもたちの物事の捉え方を豊かにしていくことが、幼児期には大切なのではないかなと考えております。もっと便利なものがあることは、後から学べばいいのです。
ちなみに、役割が限定され過ぎているものは、特性に目が向きにくいと思います。例えば、「えんぴつ削りの他の使い方は?」と言われても、私は恥ずかしながら1つも思いつきません。だからこそ、保育・子育ての環境に置くものは、役割が限定されていなさそうなもののほうが良いのではないかと思っています。
幼児教育の現場では、遊び方が決まっていないおもちゃがいろいろと開発されています。遊び方が決まっていないので、大人も遊び方がわかりません。そういったおもちゃを導入すると、「これどうやって遊ぶんですか?」と先生方に聞かれます。でも、どのような特性を見出し、どのように遊びを展開していくかは、子ども一人ひとりの発想に委ねられているのです。
Let‘s体操で使うブロックも、お家ごっこの壁やテーブルになってみたり、太鼓になってみたり、鉄棒に上がるための足場になってみたり、遊びの中で色々な発想で活用してくれています。
ジェンガを赤ちゃんに見立てて、家族ごっこをしているお友だちもいました。そういう使い方もあるか、といつも驚かされます。毎日子どものどんな発想に出会えるか、とても楽しみにしています。
ちなみに・・・
今回の話は、本来の用途とは違う使い方をすることに対して、「作った人の気持ちを考えましょう」という論の展開もありえますから、ダブルスタンダードにならないように気を付けなければならない部分でもあります。教育や子育てって、難しいですよね。だからこそ、楽しいですよね。
12月7日、14日の2日間にわたり、お遊戯会が開催されました!
運動会とはまた異なり、すぐ目の前に保護者がずらっと並んでいるため、圧倒されている子も多くいましたが、全体的に楽しく、一生懸命に取り組む姿が印象的でした。
人前で表現をすることの楽しさや喜び等の、様々な感情が子どもたちに芽生えた、貴重な一日となったのではないかと思います。保護者の皆様には、多方面で多くのご協力をいただきました。ありがとうございました。
朝、たくさん着込んでくる子どもたちですが、園庭に出て少しすると「暑い」と上着を脱ぎ始めます。気温も下がり、活発に動く子が増えてきました。元気が一番ですね。
来週はいよいよ、2024年最後の1週間です。クリスマス会も開催されますので、体調を崩さず、元気に登園してきてくれることを願っております。
今週もありがとうございました。来週もよろしくお願いいたします!
園長
日中もかなり寒くなり、いよいよ本格的な冬の訪れを予感させられるようになってきました。部屋の湿度管理、消毒、衣服の調整等で体調管理には努めていますが、体調を崩すお子さんもちらほら出てきました。
インフルエンザ等の感染症が流行する時期でもありますので、無事におゆうぎ会に全員が参加できるよう、ご家庭でも手洗いうがいにご協力いただけますと幸いです。
また、長くなりそうなので先に写真をご覧ください(^^♪
11月も終わりなので、「褒め方」について語ってみます。とはいっても、褒め方について全部語るととんでもない文量になってしまうので、最近あった出来事を一つの事例として、一要素を考えてみたいと思います。
先日、こんな場面がありました。
ある土曜日、私は学童の様子を見ていました。お昼の集まりの場で、支援員から私に対して、「自由時間中に、勉強をしたいと言っているお友だちがいるんですよ」と、声をかけられました。集まりの最中なので、子どもたちはみんな、私の反応に注目しています。
さて、なんと言いましょう。迷う時間は、2秒もありません。
この一瞬の間に、「おりこうだね」、「すごいね」、「えらいね」などと褒めてみる、「勉強が好きなんだね」と素直に解釈して返してみる、「自由時間なんだから遊んだらどうかな?」とあえて違う行動を提案してみたりなど・・・いろいろなパターンが頭をよぎりました。どのパターンも違うなと感じた私がとった反応は、「ほ~~ん。」でした。支援員ともよく話をしますから、こんな反応も予想通りだったようです。笑
今回は褒め方がテーマです。なぜ私が褒めなかったのかということを、記していきたいと思います。
私は「大人の価値観を植え付けないこと」を意識しています。そのため、特に思惑がない限り、先の例では何度やっても同じような反応になると思います。「自由時間に勉強をすることはえらい」というのは、大人の”誤った価値観”であると思っているからです。自由時間なのですから、集団の規律の範囲内であれば何をしていようと、「えらい」とか「えらくない」ということは本来ないはずです。
しかしながら、自由な時間に使える時間に、勉強などの社会的に評価される行動を取っていると、「えらい」と感じてしまいがちです。大人が何かに対して一度おりこうと言ってしまえば、子どもたちは、「〇〇する人はおりこうで、〇〇しない人は相対的におりこうではない。」という価値観を持ってしまいます。
だからこそ、先の例で”勉強をすることは良いことだ”という認識のもとに、私が「おりこうだね」と言ってしまった場合、他にも自由時間に勉強をする子が出たと思います。
こういった事象は、勉強する子が増えるという表出する部分だけ見ると良いことのように思えます。しかし、考えなければならないのは、「”おりこう”であるために」その行為を選択するということが、はたして適切であるのかということです。
称賛によって一時的に行動を引き出すことができたとしても、将来的に、「褒められないとやらない子」になってしまっては、本人が困るわけです。
また、先ほどの事例の子が「好きだから」、「必要だから」のように自分の意思で勉強をしようとしていた場合も、「おりこうだね」と声をかけてしまうのは、実は危険です。なぜなら、「勉強」と「褒められる」ということが結び付いた結果、「好きだから」していたはずの勉強が、「おりこうであるために」勉強をしているという状況に徐々に変化していってしまいかねないからです。
だから、今回の場面でも、褒めなかったのです。
自分が選んだ行為の結果として「おりこうさん」のように見えることと、「おりこうさん」であることを目的として行為を選択してしまうこととの間には、明確に違いがありますが、端から見ると全く区別がつきません。しかし、後者は将来的に問題が露呈することがあります。他者基準で行動を選択していますから、褒められなくなったり、周囲のレベルに着いていけなくなったり、価値観の異なる集団に飛び込んだりしたときなどに大いに苦しみ、時に崩れていくこともあります。
前者に関してもそもそも現代は、既にいわゆる”おりこうさん”を育てる時代ではありません。おりこうさんには、おりこうさんなりの課題があります。大人のいう事を何でも聞き、余計(勝手)なことをせず、指示の呑み込みも早い等々、社会的に望ましい行動ばかりとるようなおりこうさんに子どもがなって”しまったら”、いずれにせよ保育や子育ての仕方を見直す必要があるのかもしれません。
価値観の別れるところかとは思いますが、もう”大人が管理”する保育・子育ての時代ではありません。子どもの主体性と自由な意思を伸ばすような日々の関わりを、意識していきたいですね。
話しがあちらこちらに飛んでしまい、主張が読み取りにくいですね。推敲不足で申し訳ありません。
今週もありがとうございました!
土曜日は、いよいよ未満児さんのおゆうぎ会です。無事にみんながステージに上がることができるよう、祈っております。明日からもよろしくお願いいたします!
園長